生まれてすぐNICU搬送──赤ちゃんが連れていかれたあの日の記憶
出産は奇跡の連続であり、命の誕生は何ものにも代えがたい尊い瞬間です。
私自身、母親になったことで初めて、自分の母への感謝が心の底から込み上げてきました。
でもその一方で、「赤ちゃんを守らなければ」という強い責任感や、不安、プレッシャーも一気に押し寄せてきたのです。
初産ながら分娩は比較的スムーズに進み、赤ちゃんの産声を聞いた瞬間には心から安堵しました。
……しかしその後、まさかあんな展開になるとは思ってもいませんでした。
赤ちゃんの産声、でも…様子が違う?
赤ちゃんが誕生した直後、かすかに弱々しいながらも「おぎゃあ」と泣いてくれて、本当にホッとしました。
テレビなどで、なかなか泣かない赤ちゃんの映像を見たことがあり、「もし自分の子もそうだったら…」と不安だったからです。
体重測定や処置が終わり、やっと我が子を胸に抱けた時には、嬉しさと安心感、そして言葉にならない感動で涙が溢れました。
まだ“おさるさん”みたいな顔をしていたけれど、それでも本当に愛おしくて仕方ありませんでした。
なにかおかしい…看護師さんたちの慌ただしい様子
胎盤が出るまでベッドの上で休んでいたのですが、どこかで気になっていたのは、看護師さんたちの異様な動きでした。
何度も赤ちゃんの胸に聴診器を当てたり、センサーを付け替えたり…明らかに慌ただしい空気。
夫が不安そうに話しかける声が聞こえてきて、漏れ聞こえる会話にゾッとしました。
「呼吸数が多い」
「酸素の割合が低い」
「肺からズコズコと音がする…」
やっぱり、何かおかしい。
隣の分娩室から聞こえていた赤ちゃんの元気な泣き声とは違い、我が子の声は確かに弱々しかったのです。
そして数十分後、看護師さんからこう告げられました。
「提携の大学病院から、救急車を呼びました」
現実感のない宣告、そして搬送へ
え? 救急車…?
さっきまで足をバタバタ動かしていたし、元気そうに見えたのに。
でも、私の気持ちとは裏腹に、準備はどんどん進んでいきました。
出産直後で心も身体もボロボロだったのに、その言葉で一気に血の気が引いていく感覚がありました。
その後、大学病院の先生が到着し診察。
「挿管が必要です」
……産まれてすぐなのに?
小さな身体に管が入れられていく様子を、ただ見つめることしかできませんでした。
ほんの数分しか抱けなかった我が子が、保育器に入れられ、救急車で運ばれていく。
胸が引き裂かれるようでした。
心のどこかにあった過去の記憶が蘇る
実は私は過去に、心拍確認後の流産を経験していました。
あの時も「順調です」と言われた直後の出来事でした。
だから今回も、「このまま会えなくなるんじゃないか」という最悪の想像が頭を離れなかったのです。
泣きたいのに泣けない。
叫びたいのに声が出ない。
本当に、本当に、人生で一番恐ろしい時間でした。
NICUでの再会と、初めての母乳
産後の身体を引きずるようにして、大学病院のNICUへ初めて面会に行ったのは翌日の午後でした。
保育器の中には、たくさんの管やコードにつながれた我が子の姿。
産まれたばかりの、あの柔らかくて温かい感触が、もう遠い記憶になってしまったような気がしました。
保育士さんに声をかけてもらい、初めて母乳を搾ることができました。
まだほんの少ししか出ない初乳。
それでも、「この子を守ってくれる免疫のしずくなんだ」と思いながら、必死で搾りました。
「ママだよ、元気になってね」
そう声をかけながら。
わずか3日で退院、でも赤ちゃんは病院に
私自身は回復が早かったようで、出産から3日で退院となりました。
……でも、赤ちゃんはまだNICUにいます。
家にはベビーベッドも赤ちゃん用品も揃っているのに、そこに我が子はいない。
その寂しさが、本当に苦しかった。
毎日、搾乳した母乳を届けるために病院へ通い、そのたびに「今日の様子」を聞く日々。
NICUの看護師さんたちは本当に優しくて、どれだけ救われたかわかりません。
突然知らされた、恐ろしい“可能性”
NICUに通い始めて数日後、担当医から呼び出しがありました。
「採血結果に気になる数値があります」
「小児白血病の可能性もゼロではないため…」
──まるで頭を殴られたような衝撃でした。
ようやく産まれてきてくれたのに。
“助かるかどうか”ではなく、“命の期限”がついてしまうかもしれない。
涙が止まらず、病室のトイレで声を殺して泣きました。
夫も一緒に話を聞いてくれましたが、帰り道の車の中では、ほとんど言葉を交わせませんでした。
“変化”が訪れたのは、ある朝の出来事
毎朝搾乳して届けるのが日課になっていたある日。
NICUの看護師さんが笑顔で言ってくれました。
「今日はミルクをゴクゴク飲んで、泣き声も力強くて!」
その言葉で、やっと少しだけ光が見えた気がしました。
不思議と、赤ちゃんが元気だと私自身の体調もよくなる。
「親子ってつながってるんだな」
そう感じた瞬間でした。
初めての授乳と、おむつ替え
少しずつ呼吸器が外れ、経口でミルクを飲めるようになって、ようやく授乳の許可が出ました。
抱っこして、おっぱいをくわえさせる。
そんな当たり前の行為が、どれほどありがたかったか。
慣れないながらも、おむつ替えも手探りで頑張りました。
「ママの匂い、覚えてくれたかな」
「また入院になったら怖いけど、今はこの時間を大切にしよう」
少しずつ、前を向けるようになっていました。
回復、そしてNICU卒業
血液検査の経過観察が続くなか、最初に懸念されていた白血病の可能性は否定的となり、代謝異常や染色体異常なども少しずつ除外されていきました。
“念のため”の検査が続いていた期間は本当に不安でしたが、医師の冷静な説明と、看護師さんたちの温かい対応に何度も救われました。
そしてついに、我が子はNICUを卒業し、無事に退院することができました。
長い長い1週間。
でも私たちにとっては、人生で最も濃密で、命と向き合った時間でした。
この体験が、誰かの励ましになれば
今では元気に育ってくれている我が子ですが、このNICUでの体験は、家族の心に深く刻まれています。
きっと、同じような不安や涙を経験したママ・パパも少なくないと思います。
だからこそ、
「うちも同じだったよ」
「すごく不安だったけど、乗り越えたよ」
そんなふうに、誰かの心に寄り添えたらと思い、こうして書き残しました。
あの日の涙と祈りは、今でも私の原動力です。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
これからも、ずっとあなたの味方だよ。

